土曜日の会|ゲストスピーカー

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伊藤碩男

カメラマン
民族文化映像研究所 所属

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(全8回レポート)

「アイヌの結婚式」上映後の伊藤さんと来場者との質疑応答をまとめました。なお、音声記録の書き起こし、及び文章の編集は由井英が担当し、伊藤さんは書き起こしした文章を推敲し、加筆しております。

Q:なぜ民俗(民族)文化を映画にしようと思ったのですか。

伊藤:なぜでしょうね。本当のところ自分たちでもわからないんですよ。3人やろうと言った人間がいるんですけどね、所長の姫田と私と事務局長の小泉の3人。最初から自分たちの文化を考えようと思ったわけではないんです。むしろ何をやったらいいのか、わからなかった。

でも姫田はわかっていたのかもしれない。姫田は映画に「日本文化のふるさと」というサブタイトルを考えた。民族文化映像研究所第1作「山に生きるまつり」にも「アイヌの結婚式」にもそのサブタイトルはついています。これからシリーズとしてやっていこうという旗印のようなものです。小泉・伊藤はこれに賛同しました。これは宮本常一先生に説明し、応援をお願いするために必要な文言でした。

当時、姫田と僕は宮本常一先生が所長を勤めた日本観光文化研究所の無給所員でした。所員として全国を旅して歩くことからドキュメンタリー映画になり得る何かを探していました。その時たまたま萱野さんからの申し込みがあり、これは大切なことだと直感したのです。

「山に生きるまつり」を作るきっかけは姫田が九州山地を縦断して見つけたイノシシの頭骨と言っていいでしょう。「アイヌの結婚式」を作るきっかけは、萱野さんが東京へホリッパ(踊り)を持ってやって来た時です。国立劇場で踊っていたんです。そこへ姫田が呼び出された。前から知っていたんですね、この二人。

「実は、私の村で娘さんがアイヌ式の結婚式をやりたい」と萱野さんが言ってきた。「お前らくるか?」と、こう言われたんですよ。お前らくるかというのは、どういう意味かというと、「お祝いに来い」ということなんです。でも映像に記録しろとは一言も言っていません。

姫田はびっくりしましてね、「そんなことがあるのか」と。「アイヌ民族というのは知っていたけれども、これは非常に大切なことではないか」と。そして我々二人を呼び出して「どうする?」と聞いてきた。

僕はキャメラマンですから「映像として残すことはできるなあ」と思ったんですね。だけど映画はものすごくお金がかかるんです。そのお金を出そうとするところはない。萱野さんもそんなお金はない。その時姫田が「みんなでお祝い集団として行こうじゃないか」と言い出した

一般的に映画を作る場合、スポンサーがお金を出して、スタッフをまとめて、それで出かけて行って撮影をする。そういうことからすると考えられない。お金がないのだから。だけど行って、やろう(映画を作ろう)という気持ちだけはあった。みんな、あった。それをみんなまとめて、お祝い集団。

「じゃあ、アイヌの結婚式について何を知っているの?」

何にも知らなかった。もう、萱野さんが頼りですよ。映画の最初のところで言っているように、萱野さん自身も見たことがないんですよ、アイヌの結婚式を。でもユカラとか、ウェペケレで話には聞いていた。だから「その通りにやってみよう」と。そうやって映画の撮影が始まりました。

(次回「ウェペケレとユカラ」につづく…)

 


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