土曜日の会|ゲストスピーカー

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丸井祐二 

医学博士
聖マリアンナ医学大学
腎泌尿器外科 病院教授

前編後編
(全2回レポート)

※原稿は丸井さんのお話を小倉美恵子がまとめ、丸井さんご本人に修正、加筆などをお願いし仕上げております。

1969(S44)年8月8日 愛知県一宮市生まれ。名古屋大学医学部卒
1994 岡崎市民病院(研修医、救急、一般外科)
1999 名古屋大学小児科 医員
2000 京都大学移植外科 医員
2001 ニュージーランド肝移植ユニット兼腎移植グループ サージカルフェロー
2004 名古屋セントラル病院 救急科・移植外科 医長
2007~2015 虎の門病院分院 腎センター外科 部長代行

現在、 聖マリアンナ医科大学 腎泌尿器外科 病院教授 日本外科学会指導医、日本透析医学会指導医、救急医学会専門医、日本移植学会認定医、 日本臨床腎移植医学会認定医、日本救急医学会ICLSコースディレクター、 日本臓器保存生物医学会評議員 日本移植者スポーツ協会顧問

皆さんは、日常生活の中で医師と親しく語り合う機会はありますか。たとえ、ケガや病気で病院やクリニックを訪れても、次々に訪れる患者の一人として、ごくわずかな時間の中で、本当の気持ちを伝えることなく診察を終えるという経験を持つ方も少なくないのではないかと思います。

今回のゲストの丸井祐二さんは、医師の立場からも患者さんとのコミュニケーションに様々な疑問を感じ、自ら様々な関わり方を模索されています。今回、「土曜日の会」にお招きした理由の一つとして、患者さに根差した医療のあり方を求めていらっしゃると知ったからです。

丸井さんは、この川崎市高津区にある虎の門病院分院にお勤めの後、地元宮前区の聖マリアンナ医科大学 腎泌尿器外科教授としてご活躍されています。いわゆる臓器移植のスペシャリストですが、臓器移植を行ったレシピエントを支援する活動にも積極的に関わり、2017年スペインで行われた世界移植者スポーツ大会のチームドクターも務められました。

ご自身の専門分野のお話を分かりやすく解説いただいた後、生い立ちや患者さんとの忘れ得ぬエピソードが、参加者の皆さんの心に蟠(わだかま)っていた、病への不安や医療機関への不信感、また大切な人を病で亡くした心の痛みなど、これまで封印してきたものを解き放ち、互いに心開いて話すことができる場が開けたことが何よりでした。

〝丸井さん〟と呼んで下さい。

丸井さんにお会いするまで、私は医師に対しては「○○先生」と呼び習わすことを当たり前だと思ってきました。ですから「〝丸井さん〟と呼んで下さい。」という言葉に「はっ」とし、そこに込められた思いやご経験を伺ってみたいと思ったのです。

丸井少年と『ブラックジャック』、そして武市先生

1969(昭和44)年、名古屋からほど近い一宮市の小さな商店に生まれた丸井少年。医師とはまったく縁のない家庭に育った丸井さんですが、手塚治虫の漫画『ブラックジャック』への憧れが医師を目指す第一歩だったといいます。その憧れを現実のものへ手繰り寄せる上で、力を下さったのが中学生の時に出会った竹市進直先生でした。川端康成の書生で自ら武市龍哉の名を持つ小説家である竹市先生は、難解な言葉を使い、かなりのスパルタ教育を施されたようです。〝鬼教師〟の竹市先生に勧められた吉川英治の『宮本武蔵』を読んで強く影響されたといいます。そんな竹市先生に魅かれ、ついていこうと必死に努力を重ねるうちに学力がグングン向上し、国立名古屋大学に進学することができ、これによって医師への道がだいぶ近づいたといいます。「勉強はしておくものですよ」とのお言葉には、リアリティがありました。

おばあちゃんの存在

 丸井さんにとって何ものにも替え難いのは、同居していたおばあちゃんのとの想い出。戦時中に夫が出征し、一人で家を守っていたおばあちゃんは名古屋から一宮へ及んだ空襲の戦火に追われる中、終戦の年に馬小屋ならぬ牛小屋で丸井さんの父を産み落としたのだそうです。夫が復員してからも、貧しい暮らしの中で三人の子供を育て上げ、苦労を重ねたおばあちゃんは、いつもニコニコして怒ったところを見たことがなかったそうです。また、家業に勤しむ両親に変わり、孫の丸井少年にキャッチボールや自転車の乗り方も教えてくれ、愛情を注いでくれたのでした。

丸井さんが医学生だった頃、元気いっぱいのおばあちゃんが、脳出血で倒れたのだそうです。麻痺が残る身体で、リハビリの積み木作業に四苦八苦しながら「こんなこともできんくなってまったなぁ」と、笑ったような顔でポロポロ涙をこぼした姿に、丸井さんも涙を止めることができなかったそうです。その後、寝たきりになった時、祖母を以前まで担当してくれていた、丸井さんの大先輩の先生から、「お祖母ちゃんは孫(丸井さん)の話ばかり嬉しそうにしていた」と聞き、この祖母に報いたいという心が、医師としての背骨を作ってくれたと語って下さいました。同時に、自分のことを無条件に受け入れてくれる祖母の懐で、ヌクヌクしてきた自分に気が付いた瞬間でもあったそうです。

その後、岡崎市民病院に研修医として赴き、名古屋大学病院小児外科、京都大学移植外科を経て、ニュージーランドへ留学と、ご自身の努力と人のご縁、運もあって、一歩一歩実績を重ねていきます。

クラフトマンシップ

丸井さんは、外科医の仕事に対する姿勢を〝クラフトマンシップ〟と表現しました。いわば「職人気質」ということになるでしょうか。一義的には手塚治虫の描く天才外科医ブラックジャックのように「正確無比」な技術を指しますが、臓器移植の場合、その後の対応を適切に行う知識と技量が要求されます。他者の臓器という〝異物〟を人為的に定着させる臓器移植の宿命として、生理的な反応として拒絶反応があります。それを抑えるための免疫抑制剤の使用など、患者さんの安全を守るための知識と経験を習得するという使命もまた〝クラフトマンシップの延長上〟にあるといいます。

「満足のいく生き方」とは?

一方で、現行の医療の方針は「より長く生きることがいいことだ」という価値観を前提としている面があり、もっと根源的に「満足のいく生き方とは?」という問いにどのように応えるべきかという問題を同時に考えることがあると丸井さんはいいます。

「今の医学では、人間どんなに長生きしても150歳がせいぜい。やがて人間は細胞よりも小さな分子レベルに分解されて、それがまた他の生命に利用されるという、大いなる循環の中に我々の人生もある」と考えるのが自然の摂理に適うのに対して、ともすれば「死なないことがいいことだ」という価値観に基づいて、医療資源がつぎ込まれていやしないかという疑問も抱かざるを得ないときもあるとおっしゃいます。

ひるがえって、一人一人違う「満足のいく生き方」とは何かまで踏み込んでいかなければ、本当の意味で患者さんのための医療にはつながらないとも考えていらっしゃるそうです。それは、患者と医師との距離が近くないと良い仕事はできないということ。「丸井さんと呼んで下さい」という言葉の源には、より患者さんとの距離を近づけたいという思いが込められていたのです。

(文: 小倉美恵子 校閲 : 丸井祐二)

後編に続く…


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