土曜日の会|ゲストスピーカー

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伊藤碩男

カメラマン
民族文化映像研究所 所属

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(全8回レポート)

「アイヌの結婚式」上映後の伊藤さんと来場者との質疑応答をまとめました。なお、音声記録の書き起こし、及び文章の編集は由井英が担当し、伊藤さんは書き起こしした文章を推敲し、加筆しております。

Q:ウェペケレとユカラについて、教えてください。

伊藤:ウェペケレは説話です。遠野物語はご存知ですよね、カッパが出て来たり、色々なもの出て、それがお話になっています。ウェペケレも口承の物語です。文字を持たなかったアイヌは自然の神々や人間の暮らしを口伝えて豊かな表現で語り伝えてきました。これには生活のこと、神ごとも含まれています。例えばウェペケレの中には火の神への拝み方が含まれている。これは文字になっていませんから、萱野さんは全部おばあちゃんから聞いた話をアイヌ語で覚えているわけ。すごいですよね。

ユカラというのはね、叙事詩です。ユカラを文字にした人がいました。萱野さん以前に。知里真志保さんと言います。知里真志保さんは、アイヌ出身の初めての大学教授です。知里さんのユカラ表記はラテン語で、仮名表記は言語学者の金田一京介さんがなさりました。知里さんの娘さん、知里幸恵さんはユカラを翻訳してアイヌ神話集という本を出版しています。

「アイヌの結婚式」という映画がきっかけとなり、その後アイヌの映画を次々と作ることができました。その過程で萱野さんと姫田の共同作業として「ウェペケレ集大成(萱野本)」が出版されました。アイヌ語と日本語の対訳したものです。

 

Q:アイヌ自身も結婚式を見たことがなかったというお話ですが、おばあちゃんたちが自然と踊り出す姿を見ると、とてもその様には思えませんでしたが…

伊藤:結婚式を見たことはない。でも、お祀りはしょっちゅうやっているわけでから。お祀りには歌と踊りが出て来ます。結婚式は知らなくてもお祀りの経験はある。だから自然に心の中から湧き出てくるのでしょう。それから祭事食ですね、食べるもの。必ず伝統的なものが出てきます。それは今でもやっているわけです。昔もやっていた。だからみんなお祀りになるといい顔していますよ。その儀式を取り持つのが火の神様。これはウェペケレの中にある。それから三々九度に当たる、半分飯を食べあう、これはウェペケレの中にあって、萱野さんはそのようにしましょうと言った。

 

Q:明治の以前は、お米を作っていなかったとすると、例えば明治以前飯食いの儀式では、お米の代わりに何を食べあっていたのでしょうか。

伊藤:想像ですけど粟か稗ではないかと。コメは作っていなかったけど南部や弘前から交易品として入っていたんだと思います。非常に貴重な食材として扱われていて、大事な行事にしか登場しなかった。アイヌにとって米は主食ではありません、前出の稗、粟も主食として扱われなかったでしょう。エゾカモシカなどの動物、シャケなどの魚などが日常のたべものでした。

一緒に内地から輸入したんですね。米をそのままご飯にするというのは結婚式だけで、他の行事に使うときは「ひえ」を混ぜた。「ひえ」「あわ」は野生のものとしても採れますからね。日本の場合は、縄文の時期にお米が入ってくるわけですけど、それは陸稲ですよ。陸稲のもち米。今、古代米と言われている赤米とかね、紫の米、黒い米。そういうものが日本に入ってくるわけです。それも青森までです。

(次回「アイヌ勘定」へつづく…)


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