岩波茂雄、日本中学の頃(写真・左)
日本中学卒業の年(1900年7月)、写真中央が岩波茂雄
「写真でみる岩波書店80年」より

岩波茂雄は「ゴタだった」という。「ゴタ」とは、諏訪の言葉で「やんちゃ」あるいは「きかん坊」に近い意味があるらしい。勉強でも何でも、できないことがあると悔し涙を流しながら克服するという努力家であった反面、とにかく負けず嫌いで、級友が先生から褒められて二重丸や三重丸をもらうと、癪にさわってその人の机をひっくり返してしまったり、いたずらを仕掛けては教室に立たされるのが日常茶飯だったという。信州川上村出身の由井 英(すぐる)が茂雄の肖像写真を見るなり「確かにゴタっ小僧の面構えだねぇ」と笑みを浮かべたところをみると、「ゴタ」は諏訪地方より広い範囲で通用するようだ。標準語には置き換えられないニュアンスのある〝地ことば〟に出会うと、なんだか嬉しいような羨ましいような気持ちになる。

ゴタっ小僧の茂雄は一八八一(明治一四)年に諏訪郡中洲村中金子に生まれた。中洲村は諏訪大社上社本宮からほど近く、八ヶ岳から諏訪湖に注ぐ宮川が流れている。遠い昔、諏訪湖の湖底に宮川が運ぶ堆積物によって生まれたという土地は、地味が良く寒冷な諏訪地方には珍しく稲作も盛んな土地柄で、茂雄の家は比較的裕福な農家だったという。家の裏を流れる宮川や諏訪湖で友を連れて泳いだり、村からほど近い守屋山(諏訪大社上社の神体山)や杖突峠で遊んだり、時にはひとり山に入って三日も帰らず、村中を騒がせたり…。肉親や村人の愛情と諏訪の豊かな風土を養分として、はちきれんばかりの元気を振りまいていたらしい。上諏訪出身の気象研究の第一人者で、作家・新田次郎の叔父でもある藤原咲平(ふじはらさくへい)は、幼少期の茂雄について「子供の間では、岩波さんという人はかなり怖れられており、慕われておったのであります。眼がくるくるしておりまして、何でも光るもののたとえに〝茂雄さの目玉のようだ〟と言いました。」と回想している。

この頃、諏訪湖の対岸の平野村(現岡谷市)では、日本の近代産業の流れを大きく変える画期的な出来事が起こっていた。武居代次郎による「諏訪式繰糸機」の発明だ。富岡製糸場をはじめ、繰糸機や設備の多くを西欧からの輸入に依存していた当時、安価で性能も優れた国産の「諏訪式繰糸機」は、瞬く間に全国に普及した。これによって良質の生糸の生産が飛躍的に延び、流通や金融も整備され、製糸業は国家の財政の基盤となっていく。茂雄の母・うたは、下諏訪の製糸家・井上善次郎の妹だというから、茂雄も製糸業の勃興によって、世界の市場に乗り出さんとする諏訪の空気に触れながら育ったと思われる。国際市場で伍してゆく商品を持ち得た日本は、国力を養い、拡大路線に転じ、ついに日清戦争へと突入していく。

こうした時代背景を受けて、ゴタっ小僧・茂雄のエネルギーの矛先は社会に向けられたようだ。中洲高等小学校で出会った教師・金井富三郎から受けた影響は大きかったという。金井先生が当時流行っていた稲垣満次郎『東方策』のあらすじを語ると、茂雄はロシアやイギリスなどの列強から日本が圧迫されていることに憤慨し、新しい日本を興した明治維新に強い関心を抱き、西郷隆盛や吉田松蔭の話を何度も繰り返し聞いては熱烈な信奉者になってしまったという。さらに金井先生の指導で校友会を作って会長に就き、夜ごと有志に呼びかけて学校で勉強会を開いた。ランプの下で演説会や討論会などを催し、仲間に西郷や松蔭の志を説いては号令をかけていたというから、岩波が国粋主義を標榜していた杉浦重剛が校長をしている日本中学に入学したいと考える素地はこの頃に作られたといってもよさそうだ。

十五歳で入学した上諏訪の郡立諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)でも、偉人の肖像を掲げて西郷や松蔭の伝記を読んで周囲にその志を説いていたという。中学入学の翌年に父・義質(よしもと)が亡くなると、家督を継いで家長になった。よく母を助け、自ら育てた作物を天秤棒で担いで上諏訪の町で売り、その売り上げは母の願い通りに慈善事業にも投じたという。数ある茂雄の伝記の中でも定本となっている安倍能成(あべよししげ)の『岩波茂雄傳』によれば、人に奢るのが大好きで、おやつでも何でも気前よく振る舞い、また公平公正を枉(ま)げなかった少年期の茂雄の性質は、生涯を通して変わらぬものだったと回想している。ちなみに伝記を著した安倍能成は、茂雄の一高時代からの親友で、岩波書店の後見人として茂雄を支え、後に文部大臣などの要職を歴任した。

茂雄の誰よりも熱く激しいエネルギーは諏訪盆地には収まらず、上京への夢を募らせていく。

【つづく…】


そもそも第2号 

【特集】第2章 近代 人づくり編 出版王国諏訪

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取材・執筆者
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小倉 美惠子 ささらプロダクション代表/作家
1963(昭和38)年、神奈川県川崎市宮前区土橋生まれ。アジア21世紀奨学財団、ヒューマンルネッサンス研究所勤務を経て、2006(平成18)年に(株)ささらプロダクションを設立。2008年、映画「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、地球環境映像祭アース・ビジョン賞を受賞。2010年「うつし世の静寂(しじま)に」を劇場公開。2011年「オオカミの護符」(新潮社)を上梓。現在、映画「ものがたりをめぐる物語」を製作中。

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