諏訪「ものづくりのDNA」

川崎を含め、東京近郊の近代産業は、それ以前の歴史とは断絶している。つまり、地元で代々暮らしてきた漁師や農民たちの土地を召し上げて、そこをコンクリートで埋め塞いだ上に大企業の工場が移転してきたのだ。かつてそこで海苔の養殖や桃や梨の栽培をしていた人々と工場とは、何の縁もゆかりもない。東京湾岸に展開した重厚長大産業の時代からIT産業に移行して、多摩川沿いの内陸が「日本のシリコンバレー」と呼ばれるようになっても事情は変わらない。わが川崎のみならず、これまで訪れた地域でも、大企業のほとんどは「地価や税金が安い」などの理由で移転してきた外様企業で、地域との関係が希薄だった。

ところが諏訪では、江戸時代の地場産業から近代の製糸業、戦後の精密機械工業からIT、メカトロニクスと言われる現在に至るまで、その主体は地生えの諏訪人たちであることに驚かされる。まさに「ものづくりのDNA」という言葉に象徴されるように、表の看板は変わっても主体は変わらないのだ。

諏訪の「ものづくりのDNA」を語る時、先史時代の「黒耀石の加工流通」にまで遡る。一万年以上も昔の話に「そんな大袈裟な」と言いたくなる気持ちもないではないが、たしかに黒耀石の昔から、寒天、海苔、生糸、時計、オルゴールなど、時代を問わず諏訪の産業の基本スタイルは「軽薄短小」。つまり人が身につけて運べるほどの小さなものを扱ってきた。四方を山に囲まれた山国で、人が背負うか牛馬の背を頼りに峠を越えなければ交易ができなかった土地柄によるとされる。

「諏訪を東洋のスイスに!」を合言葉に精密機械工業を起こした第一世代はすでに一線から退き、その多くは鬼籍に入っている。当時の企業には消長も見られるが、二〇〇〇余のものづくり企業を擁する諏訪で、その最盛期にはどのような製品が作られてきたのだろう。完成品でみると時計、オルゴール、カメラ(光学機器)、ポンプ、バルブと、大まかに五つくらいに分けられそうだ。完成品もさることながら部品の加工こそが「精密の命」と言えるらしい。時計は諏訪精工舎、オルゴールは三協精機、カメラや光学機器はヤシカ、チノン、日東光学、ポンプは荻原製作所、バルブは東洋バルヴやキッツといった企業が世界的なシェアを誇る大企業に成長したというが、それらに供給する部品を作る中小企業が精密機械産業を支えてきたとも言える。時計の部品だけでも一〇〇~六〇〇個といわれ、針や竜頭(りゅうず)などそれぞれに異なる工場で作られるという。近頃では、それもロボットや型抜きで量産が可能になっているが、当時は旋盤を使って小さな部品の一つ一つを人が削り出していたというから驚きだ。「日本のものづくりは中小企業の技が支えてきた」と、よく言われることだが、ここも例外ではないようだ。

【つづく…】


※ 諏訪式【近代 ものづくり編】は、そもそも「創刊号」に掲載された特集記事です。そもそも第2号は、2016年10月にようやく発行しました。2号では諏訪式【近代 人づくり編】と題し、岩波書店、筑摩書房などの出版業や諏訪にゆかりのある文人に焦点を当て、諏訪のもうひとつの顔、文化的側面を浮かび上がらせています。ささらプロダクションのウェブストア Tamaca にて販売中。

取材・執筆者
ささらロゴ 太(印刷)
小倉 美惠子 ささらプロダクション代表/作家
1963(昭和38)年、神奈川県川崎市宮前区土橋生まれ。アジア21世紀奨学財団、ヒューマンルネッサンス研究所勤務を経て、2006(平成18)年に(株)ささらプロダクションを設立。2008年、映画「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、地球環境映像祭アース・ビジョン賞を受賞。2010年「うつし世の静寂(しじま)に」を劇場公開。2011年「オオカミの護符」(新潮社)を上梓。現在、映画「ものがたりをめぐる物語」を製作中。

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