優等工女の繰糸【写真提供:岡谷蚕糸博物館】

ひと玉の繭が「つなぐ」もの

諏訪の近代製糸業をさらに掘り下げるために訪れた岡谷で一人の女性と出会い、肩に力の入っていた私は緩やかなペースを取り戻していく。林久美子さんは岡谷市蚕糸博物館の専門指導員で、「岡谷の製糸業について知りたい」と訪れた見ず知らずの私に資料の紹介のみならず、町の案内をして下さった。まちなかに、武居代次郎や片倉組を生んだ「糸都岡谷」の面影を探したが、一見してそれを感じることはできなかった。

最初に案内されたのは、意外にも桑の葉を一心不乱に食べるカイコたちだった。白いイモムシが大量に蠢(うごめ)いている姿に一瞬たじろいだが、「桑の葉をやってみます?」と誘っていただき、近くに寄って見てみると、なんとも美しく愛らしい姿をしている。

「パラパラと雨が降るような音がするでしょ?」と林さん。耳を澄ますと、雨音らしき音が聞こえる。それはカイコが桑を食べる音で、諏訪のお年寄りは「蚕時雨(こしぐれ)」と呼んできたそうだ。「素敵でしょう?」と優しいまなざしでつぶやく林さんは、さらに少し黄味がかったカイコを指さし、「このおカイコは熟蚕といって身体が透けてますでしょ?頭をもたげているからもうすぐ糸を吐きますよ。」と話終わらぬうちに、そのカイコは8の字に頭を振りながら糸を吐きはじめた。その繊細な糸で身を守るように繭を作り始める。

林さんはあらかじめ煮た五玉ほどの繭を湯が張られた洗面器に入れた。箒(ほうき)のようなものでその繭を撫(な)でると、全ての繭からスーッと糸が引き出され、指にかけるだけで一本の糸にまとまる。体長七センチあまりと小指ほどのカイコ一頭が吐く糸は、およそ千二百メートルにもなるという。なんとありがたい生き物か!

それは「工業原料」ではなく「命そのもの」だった。数々の製糸遺産の残る岡谷で、まず生きているカイコの姿に触れさせて下さった林さん。この体験で私の中で何かが大きく転回した。何よりも「養蚕」の何たるかを全くわかっていなかったことを思い知ったと同時に、古来、養蚕において女性がより重要な役割を担ってきた理由が瞬時に理解できた。カイコを「おこさま」「おかいこさま」とも呼ぶように、その成長を注意深く見守り、手助けをするのが養蚕という仕事なのだ。私の母も幼い頃から養蚕の手伝いをしてきたというが、家の最も良い場所に蚕棚を作り、成長とともに広がる蚕棚に場所を明け渡し、家人は隅の方で寝起きしたと聞いたことがある。

当然ながら、天然自然の産物であるカイコは、その種や産地、気候条件などによって大きさ、色、糸の太さなどまちまちで、二つと同じものはない。近代製糸業において、その個体差は「ばらつき」とされ、それを均一にすることが「品質管理」であり、市場に対応するための大きな課題だった。

カイコは「蚕種」「養蚕」「製糸」のそれぞれの工程で人手にかかり、生糸となる。製糸業は、カイコの生態に人が寄り添う「農的」な側面と、人間の欲求を基盤とする市場経済に則った「商工業的」側面の二つを持ち合わせている。つまり「自然と人工」という、相反する原理を抱え込む中で「品質管理」という概念が生まれ、それが後の精密機械産業を支える土台ともなったという。

科学の発達とともに「品質管理」の精度は磨かれてきた。カイコは種(卵)の段階から人工的な交配によって改良・均質化し、養蚕や繭の輸送、貯蔵の方法も厳密になり、製糸技術も人の手技から機械化による大量生産への依存を強めてきた。天然自然の要素との折り合いを計る製糸業の傍らで、繊維業は、やがて自然条件に左右されることのない化学繊維へと移行する。

人は太古の昔から、命の源である「自然・風土」と、利便性を求める「人間の欲求」との間で綱引きを行ってきた。近代以降その綱は、大きく「人間の欲求」の側に引き寄せられ、私たちの「不便」は、大きく解消され、さらに難病に対する治療や、宇宙や生命の謎に対しても様々な発見が相次いでいる。いいことづくめで人類の未来は明るいと言いたいところだが、実際には「迷い」や「悩み」はより深いものとなり、「生きづらさ」はより深刻になっている。もちろん、科学技術はたゆみなく進まなければならないと思うけれども、「利便性」の追求や「科学偏重」の潮流の中で、何かを置き忘れてきてしまったことについても、真剣に取り組まなければならない時代を迎えているのではないだろうか。

【つづく…】


※ 諏訪式【近代 ものづくり編】は、そもそも「創刊号」に掲載された特集記事です。そもそも第2号は、2016年10月にようやく発行しました。2号では諏訪式【近代 人づくり編】と題し、岩波書店、筑摩書房などの出版業や諏訪にゆかりのある文人に焦点を当て、諏訪のもうひとつの顔、文化的側面を浮かび上がらせています。ともに、ささらプロダクションのウェブストア Tamaca にて販売中。
取材・執筆者
ささらロゴ 太(印刷)
小倉 美惠子 ささらプロダクション代表/作家
1963(昭和38)年、神奈川県川崎市宮前区土橋生まれ。アジア21世紀奨学財団、ヒューマンルネッサンス研究所勤務を経て、2006(平成18)年に(株)ささらプロダクションを設立。2008年、映画「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、地球環境映像祭アース・ビジョン賞を受賞。2010年「うつし世の静寂(しじま)に」を劇場公開。2011年「オオカミの護符」(新潮社)を上梓。現在、映画「ものがたりをめぐる物語」を製作中。

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