「諏訪式」
その後、日本の機械製糸の中心地に躍り出たのは諏訪だった。その理由を辿ると一人の諏訪人の姿が浮かび上がってくる。その人の名は三代目武居代次郎。諏訪郡平野村(現岡谷市)で二代前から「糸師」を営む農家であった。(農家とは言っても、高遠藩や高島藩の財政に深く関与するほどの経済力を持った商家的性格を持つ豪農であったようだ。)

諏訪は高冷地ゆえに厳しい冬が長く、田畑の適地が少ないために、江戸時代から副業として綿打ちや小倉織などの綿業や、近江商人を介して京都西陣に生糸を送る「登せ糸」、気候を生かした寒天づくりなどが行われていた。ところが開国を機に機械紡績の安価な綿織物が流通したことから、インド同様に手紡ぎによる綿業は急速に衰え、養蚕や生糸の生産に比重が移っていった。全国的に養蚕農家が増え、諏訪地方でも座繰り機を使った小規模な製糸家が現れ、江戸中期から生糸を扱ってきた「糸師」は、ますます勢いを得て行った。

富岡製糸場の噂を聞きつけた三代目代次郎は、大工らと共に富岡製糸工場の技術を忠実に受け継いだ松代の六工社などに視察に出掛け、なんと三十三分の一の低コストで一〇〇釜の機械製糸工場を作ってしまった。その名は「中山(なかやま)社」。九人の発起人が土地や資金を出し合っての事業だったというが、明治八年、富岡製糸場の開設から三年後のことだ。

代次郎たちの「マジカルにしてミラクル」な偉業には、数々の工夫と発想の転換がみられる。まず、レンガや石材、ガラスなど、主に建物に使われた素材は高価で調達が難しいため、積極的に木製に置き換え、動力は川に水車をかけ、水力を得ることで、石炭への依存を低めるなどの工夫を凝らした。中山社が画期的であったのは、煮繭に使う蒸気釜を備えたことと言われる。これも石炭に依らず、薪で火を焚いた蒸気であったと思われる。

諏訪式繰糸機|写真提供:岡谷蚕糸博物館

「木」を使うというのは、コスト面だけでなく、日本人の心情としてしっくりくるような気がする。ポール・ブリュナは、富岡製糸場の随所に日本人向けの配慮を施したようだが、建物に関しては「石づくり」の発想から脱することはなかったようだ。

しかし代次郎の功績といえば、何といっても「諏訪式繰糸機」の発明だろう。これはフランス式繰糸機とイタリア式繰糸機の長所を折衷し、主な材質を木で組み立てた。さらに煮繭する繰糸鍋を銅製から陶製に変え、結果的に糸の変色が防がれ、よりツヤのよい生糸がとれるようになった。

ちなみに生糸輸出の最大のライバルであった中国では、富岡製糸場での任期を終えたポール・ブリュナが上海に立ち寄り、「寶昌絲廠」という富岡式の機械製糸場を建て指導にあたったという。当時の中国では、資本家と製糸家は別々の存在で、民間の資本家が欧式の機械製糸工場をそのまま導入し、そこで操業した製糸家が資金難に陥ったことと、熟練工女の育成がうまくいかなかったことで、生糸生産のトップの座を日本に譲り渡すことになったという。富岡製糸場での技術伝習と「諏訪式繰糸機」の発明が、日本の製糸業に活路を開いた。

「諏訪式繰糸機」は、多条型繰糸機や自動式繰糸機が普及する昭和初期に至るまでの長きにわたって、「普通機」と呼ばれるまでに汎用化され、飛躍的に生糸の生産性を上げる土台を作った。これらの工夫には、諏訪の土地柄を熟知した百姓ならではの発想とともに、「相手」に引き込まれるのではなく、自分たちの足場に根づくものに改めるという、「諏訪式」の自主自立の精神が感じられる。

…ところで私は、大きな勘違いをしていた。一介の百姓と大工が富岡製糸場を見て、いきなり神業のごとく諏訪式繰糸機を生み出したかのように思ったのだが、彼らは、既に「糸師」として生糸生産に関わる情報を収集し、大変な試行錯誤をしていた。彼らの動向は、当時の諏訪の糸師の意識がどれほど鋭敏で、行動力に富んだものかを伺わせてくれる。明治五年に上諏訪に建てられた深山田製糸場と関わりのあった代次郎は、そこに据え付けられたイタリア式繰糸機を具(つぶさ)に研究し、座繰り機の改良に既に取り組んでいた。さらに富岡製糸場や富岡を模したとされる松代の六工社にも出向いてフランス式繰糸機との折衷を試み、「諏訪式繰糸機」を生み出したという。この間、深山田製糸場をはじめ、多くの製糸家が設備投資や生糸相場の対応に失敗し、倒産に至ってもいる。これらの民間人の努力があって、機械製糸は全国に広く行きわたっていく。

【つづく…】


※ 諏訪式【近代 ものづくり編】は、そもそも「創刊号」に掲載された特集記事です。そもそも第2号は、2016年10月にようやく発行しました。2号では諏訪式【近代 人づくり編】と題し、岩波書店、筑摩書房などの出版業や諏訪にゆかりのある文人に焦点を当て、諏訪のもうひとつの顔、文化的側面を浮かび上がらせています。ともに、ささらプロダクションのウェブストア Tamaca にて販売中。
取材・執筆者
ささらロゴ 太(印刷)
小倉 美惠子 ささらプロダクション代表/作家
1963(昭和38)年、神奈川県川崎市宮前区土橋生まれ。アジア21世紀奨学財団、ヒューマンルネッサンス研究所勤務を経て、2006(平成18)年に(株)ささらプロダクションを設立。2008年、映画「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、地球環境映像祭アース・ビジョン賞を受賞。2010年「うつし世の静寂(しじま)に」を劇場公開。2011年「オオカミの護符」(新潮社)を上梓。現在、映画「ものがたりをめぐる物語」を製作中。

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