常念校長

常念校長は、実在の人物、佐藤嘉市について書いた伝記風の物語である。作者は佐藤に所縁のある人だろう。この物語で描かれた人物像と実際の佐藤嘉市と重ね合わせるのは飛躍があるのか、正当なのかは私には判断はできない。ただし、物語として描かれたことだけを考えても、安曇野の人が佐藤嘉市を大切に思っていることはよくわかる。

物語によると佐藤嘉市が安曇野の堀金小学校の校長として赴任してきたのは、大正5年11月。当時39歳だったという。ウェストンが常念岳を登頂してからおよそ20年後だ。自宅は飯山市にあったというから、安曇野の人ではない。校長の要請を受けた理由として、一目見て好きになった常念岳の麓の村だったからと書かれている。

佐藤が物語に描かれるようになったのは、やはり安曇野の人たちに山を登る魅力を伝えたことにあると思う。その影響力はこの「常念校長」を読む限り、ウェストンより遥かに大きいものだったと思う。ウェストンの頃、山に登るのは狩りをする猟師など特別な人たちだけであった。それが大正に入り、学校の子供達や先生、親御さんまでみんなで登るようになる。そこに佐藤嘉市の功績があると作者は伝えたいのだと思う。

ところで佐藤はかなり常念岳に心酔していたようだ。

佐藤校長は、学校の裁縫室に『常念岳」の額をかけ、宿直室には常念をうたった詩の額をかけて、いよいよ常念岳へのめり込んでいった。週一度、月曜日の全校朝会は、晴れた日は校庭で行った。いつも言うことは決まっていた。
「諸君、常念岳を見ろ! 今日はよく晴れていて立派である」とか
「今日は雲っていて常念岳が見えない。まことに残念である」というように…

常念校長に対する子供達や周りの先生の眼差しはとても温かい。そこには作者の気持ちも反映されているだろう。驚くことに、常念校長の目的は単に自分たちや地元の人たちが常念岳を登ることにあるのではなく、日本の登山文化を常念岳から始めたいと思っていたことだ。当時、学界でも山岳研究が進められており、人々の関心も徐々に登山に向けられてきた時期だったという。そこで、佐藤は「日本アルプス開発石室建設のための郡費支弁又は補助」という請願書を作り、安曇野教育委員会の幹事会に諮った。しかし一般的にはまだ登山への関心が薄かったようだ。

「そんな登山なんてことを誰が理解するもんかね。無駄な骨折りだよ。どうせ否決されるに決まっているよ」
「佐藤先生は、日本的な立場でいろいろと言われるのがいいが、今度ばかりは少し登山的だね。この計画は三文の値うちもないと思うがね」

集まった諸先生方から、それこそ笑われてしまった。佐藤嘉市は、これほど登山に対する認識が低いとは予想できず、ただ腹の中でおどろいていた。日本アルプスの山麓で、しかも時代の先端を歩む校長先生達が、こんな考えをしているのでは、新しい光はさしこまない。

この辺りの文章が当時の様子と佐藤の気持ちを忠実に表しているのかどうかはわからない。しかし物語の筋と人物の描き方という作り手の観点から想像すると、佐藤本人というよりは作者の気持ちや立場が多分に加わった文章ではないかと思う。子供達や常念岳と向かい合っている佐藤校長の姿は染み入るように心に入ってくるのだが、「公の場」での姿の描き方には何かがひっかかり素直に受け止められない。二つの場面の人物像を一人の人間として受け止めることに違和感を感じてしまうのだ。

常念岳と地元の子供達をこよなく愛した佐藤が、たとえ登山に対して理解のない人々であったとしても「認識が低い」と見下すように判断してしまうのだろうか。こうした地元の人々に対する「常念校長」の視線がそれぞれ異なるため、ひとりの人物像として受け止め難いものを感じてしまう。

ただし、当時の佐藤を取り巻いた、登山に対して理解のない状況は物語の筋として(おそらく事実として)受け取るべきものだろうと思う。そうした困難を経て、佐藤は常念岳へ登る道筋を作っていく。公的な資金の援助に頼らず、志を同じくする人たちと「常念岳研究会」を発足する。

最初の頃の常念岳への登り方が面白い。佐藤は先生方や村の有志とともに、行けるところまでいき、行きつ戻りつを繰り返して徐々に距離を伸ばしていった。そして何度も山に登り、安全を大人が確認してから、夏休みに子供達を連れ、女性を連れてみんなで登るようになった。

常念校長という物語を読み終えて改めて思ったのは、なぜ佐藤校長はそこまでして常念岳に登りたかったのだろうかということだ。その理由は、私たちがいま山登りをする気持ちと同じものなのか違うのか。何度もこの物語を読み返しているうちに、ちょっと違うところがあるのではないかと思うようになった。

佐藤は常念岳の姿を一目見て、魅了された。あの山に登ってみたいと思った。山頂に登ればどんなに気持ちがいいだろうと想像した。それをみんなで味わいたと思った。そのために常念岳をみんなで登りたかった。しかし佐藤が思う「みんな」は一般的な顔の見えない日本人ではなかった。佐藤にとって「みんな」は、安曇野に暮らす人々だった。まずは安曇野に暮らす人達と常念岳に登りたかった。それはきっと山を登ることだけを目的としていたからではないだろう。山を登るための山登りではなかったのだろう。佐藤は何かのために山を登っている。正確に言えば、彼は何かのために山に登るようになった。常念岳を登ることによって安曇野の人々の絆の育みたかったのだろう。常念岳が人々の拠り所になればと思ったのだろう。そのために常念岳を目指したのではないか。山を登る本当の目的が安曇野に校長として赴任し、土地の人々と触れ合うことによって見えてきたのかもしれない。

思いは結実したのだろう。佐藤嘉市が発足した常念研究会は有志によってその後も脈々と受け継がれ、やがて冊子「ふるさと常念」を生み出した。

「ふるさと常念」を最後まで読んでみると、私にとってさらに大きな発見があった。佐藤嘉市が全校朝会で常念岳について熱く語っている姿を見ていた小学生の中に、臼井吉見がいた。臼井は常念校長の生徒だったのである。そのことを見つけた時私は、この冊子「ふるさと常念」との出会いが益々偶然のものとは思えなくなっていた。

【つづく…】

取材・執筆者
ささらロゴ 太(印刷)
由井 英 映画監督/ささらプロダクション

2006(平成18)年に、小倉美惠子とともに(株)ささらプロダクションを設立。2008年、映画「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、地球環境映像祭アース・ビジョン賞を受賞。2010年「うつし世の静寂(しじま)に」を劇場公開。現在、映画「ものがたりをめぐる物語」を製作中。

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