アカデミック版DVDを購入した人たち【2】

購入:公立大学法人 宮城大学
お話:茅原拓朗 氏(宮城大学 教授/学術情報センター長)
聞きて:由井 英(映画作家・ささらプロダクション)
小倉美惠子(文筆家・ささらプロダクション)
取材日:2018.12.5

茅原拓朗 氏

学生が「AI」に抱く「ものがたり」

茅原:私はまるで変わってしまったんです、東日本大震災で。人生観も変わったし、文明や文化に対する見方も変わりました。私は心理学者で脳科学が専門分野です。人間の知覚とか認知、見たり聞いたりという機能を科学的に調べています。それをデザインに活かすという文脈で大学で教えていますが震災以来、時間軸が変わってしまったというか、より長いスパンで考えてみたいと思うようになりました。それと研究室の外に出ていきたいという気持ちが募るようになりました。8年経とうとしている今もまだそうした変化の途上にあるのですが、最近特に興味があるのが「ものがたり」です。ベースの機能も大事なんですけど、その上にどんな「ものがたり」がどのように立ち上がるか、ということの方がずっと面白いし今必要とされていることなのではないかと思うようになったのです。

「ものがたり」から完全に自由な人というのはまずいません。みんな、それぞれの「ものがたり」を紡ぎながら生きているし、その「ものがたり」の力というのはすごく強力なものです。話題の「AI(人工知能)」についても、技術論やそれをどう使うかということではなく、それらの技術に対して人びとがどのような「ものがたり」でとらえているか、ということに興味を持って調べています。

由井:学生たちは「AI」にどのような「ものがたり」を抱くのでしょうか。

茅原:まだ簡単な調査しかしていませんが、漠然と自分はどちらかというと「AI」に負ける側の人間だろう、と捉えている学生が多いことが分かりました。

由井:そうなんですか?

茅原:ええ、本学学生の限られたサンプルでいえば過半数を超えます。

由井:逆に「AI」に対し人間は何ができるのだろうかとは考えないのでしょうか。

茅原:そうなんですよ。「AI」だって人間が作った技術ですから、それをどうコントロールするのかという話だし、実際そういう議論は行政を含めいろいろな場所で始まっているのですが、一般にはなかなかそのようには考えられないようです。

由井:人間の能力が「AI」によって開発されたり、引き出される可能性もあると思うのですが。

茅原:将棋や囲碁の棋士さんたちがまさにそうですね。

由井:AIと対戦することでこれまでの人間の常識では考えられない新たな一手が生まれてきています。

茅原:全くその通りです。だから最初から負けちゃうという話ではないはずなのですが、なにかついそう思わせてしまうところに「AI」あるいはAIを巡る状況が持つ、これまでの技術とは異なる特質があるのではないかと考えています。

「すき間」を失いつつある大学

由井:ところで茅原先生はなぜアカデミック版DVDをご購入されたのでしょうか。その理由をお伺いできますか?

茅原:やや迂遠な話になりますが、現在の大学は教育面でも研究面でも短期的な利益につながるようなかなりのプレッシャーを社会からかけられています。昔の大学は「すき間」と言いますか、その後生涯にわたって知性をドライブしてくれるような「訳のわからないもの」に出会える時間と空間がありましたが、今では無くなりつつあります。経済のような容赦ないシステムと個人の間にあって「火除地」の一つとなってきた大学に人びとが自ら無理矢理なにかを詰め込もうとしているというとても痛ましい状況に対して大学人として何かしなければという思いでいたのです。

そんな中、どういうわけか大学の図書館長という仕事を仰せつかることになったのですが、すぐに大学図書館はそのような状況のフロントラインになり得ることに気がつきました。そこで学内の有志に運営委員として集まってもらい、また、とても面白い取り組みをしている複合文化施設であるせんだいメディアテークの学芸員・小川直人さんにも加わってもらって、そのような「訳のわからないもの」に出会う場として「六限の図書館」と名付けた図書館独自のイベントシリーズを始めました。

由井:5限の後ということですか?

茅原:そうです。本学の時間割には6時間目はないのですが、完全な放課後でもなく、かといって授業時間でもない「6時間目」というのを勝手に設定して、そこでいろんな方々を招いてお話を伺ったり、映画の上映会をしたり、写真展もしました。当然ですが見て「よかったね」で終わるのではなく、その後にディスカッションをする機会を設けて。  

一方、いつまでもそのような単発のイベントだけではだめで、所蔵コレクションをつかって時間をかけて出会い議論していけるような図書館にしかできない継続的プログラムとして落とし込まなければ、ということも考えていました。そんな中、「オオカミの護符」の上映を検討するためにささらプロダクションのサイトを訪れたら、上映権付きのDVDを販売しているということを知り、これは上映+ディスカッションのプログラムを組めると思い、早速購入させていただきました。

実は東日本大震災が起きたあとすぐに「オオカミの護符」の本は手にしていたんです。この本には何かヒントがあるのではないかと感じたので。本を読んだ後、いつか映画もみんなで観たいねという話もしていました。でもなかなかその機会が作れないまま久しぶりに訪れたら新たな展開のために欲しいと思っていたものがまさに提供されていたのです。

由井:実は私たちも自分たちの映画の届け方というのを考えていました。一般的に映画というと映画館で見たり、作品を貸し出し上映会を開催していただくという方法がありますが、私たちのようなタイプの映画はそれでは届かないのではないかとずっと考えていました。

茅原:映画の上映会のほとんどが1回あたり何人視聴でいくら、という契約になりますよね。でも優れたドキュメンタリー映画だとディテールがいっぱいありますから、一回見ただけでは汲み取れないものがあります。そこで自前のライブラリーとして作品を持っておきたいと思っていました。また、そうすることによって優れた作品を作っている人たちを支えていくというのも図書館の仕事だと思ったのです。でも図書館で購入できるDVDやブルーレイの権利設定は館内で個別に鑑賞するのはOKだけど上映会はNGというのがほとんどでして、それではみんなで鑑賞後にディスカッションすることができないので困っていたのです。そんな時に御社サイトに「みんなで映画を観てディスカッションしてね」と書いてありましたので、まさに気持ちが合ったという感じがしました。ご本人たちを前にして言うのもの恥ずかしいのですが、「この製作者の心意気に答えなくては」と思ったのです。

その上、「購入希望を出した人と話がしたい」とささらさんがおっしゃってると図書館職員から聞いて、本当にびっくりしてしまいました。というのも、大学図書館は教育や研究に使う資料を集め届けることが目的ですので、公共図書館と違って使う人自らが運営し、資料選定も使う人、つまり教職員や学生が行うことが原則になっています。ですので、資料をどんなふうに使うのか興味をもってわざわざ会いにきてもらえることはまさに資料選定者冥利に尽きる(笑)というか、私たちがいつもやっている資料選定ってやっぱりこういうことなんだよ、って同僚や学生達に言いたくなるようなちょっと画期的な出来事だと思っています。

由井:こちらこそお会いできて嬉しいです。先ほどの映画の届け方についてですが、映画を観る環境も変わってきているように思っています。あくまでも自分たちの関係づくりのために映画を使いたいと。そういう場は多くて20人とか30人の集まりなんです。それ以上いると相手の話にじっくり耳を傾けることができないし、人と人が繋がることができないと主催者もわかっているのだと思います。そうした場では何度も映画を観たいし、いろんな人を招いて繰り返し同じ映画を観せたいのです。そこから上映会も自由にやってくださいね、中身を改変しなければどのように使ってもらってもいいですよ、という上映権付きDVDの販売を始めたのです。

茅原:なにかご縁(シンクロニシティ)を感じます。

東日本大震災の後に手にした「オオカミの護符」

由井:先ほどの震災の後に「オオカミの護符」の本を震災の後に手にされたお話を少し詳しくお伺いしたいのですが、何かヒントがあるのではないかと思ったということですがなぜそのように思ったのでしょうか。

茅原:ニホンオオカミに興味を持っていたとか個人的なことを含めいくつかありますが、一番大きかったのは、

東北の沿岸部が地震と津波によって壊滅的になって「それでも流されていないもの」、文化の基層を探っていて「山」が見えてきていたことです。

その時に偶然「オオカミの護符」の本を手にしました。震災の翌年だったと思います。本の中でお二人は核心に向けて山の奥へ奥へと分け入っていくのですが、僕もとてもスリリングに導かれながら、まさにお二人を「先達(山の厳しい修行を導く修験者のメンター)」のような存在として感じるようになっていました。

由井:小倉の実家の土蔵に貼ってあるオオカミの護符から始まるストーリーですね。

茅原:特にこの本は後半の盛り上がりがすごいですね。僕は民俗学者とは言えないし、一方、東北の民俗・文化はすでにかなり調査され尽くされているところもありますから、僕がやれることが残っているのかなと思っていました。しかしこの本から「最初は手探りでも最後にどこかにたどり着ければいいや」ということと、「オオカミの護符のように小さな手がかりに耳を傾けて丹念にたどっていけば着く場所は同じでも必ず独自の道どりが示せるはず」という、そんな方法論も戴いたなと思いました。とても勇気づけられました。

津波が押し寄せた海に向かって祈る「法印さん」

小倉:私は陸前高田に25年ほど前から仕事で通っていて、親しい人たちがいたので、すごく気になっている土地なのですけれども震災半年後に行って地元の方に、「一番最初に来てくれたのは、法印さんだった」という話を聞きいました。

茅原:そうですか。

姉歯橋が掛かっていた場所に新しい橋が作られ始めている。(陸前高田市・2018.12.3)

小倉:修験の方で止むに止まれずという気持ちだったのでしょうけれども、海に向かって祈る法印さんの姿を見かけました。一人、二人ではなかったと思います。その時に「ああ、法印さんというのはこういう時に自らの足で歩き、祈っているんだな」と思いましたし、土地の方もそうやって山から降りてくる法印さんの姿を印象深く心に刻んでいるだなと思いました。

もう一つは、今回、久しぶりに陸前高田を訪ねた時にお聞きしたおばあちゃんのお話が印象的でした。お孫さんが陸上の選手ですごく足の速い子だったそうです。津波の時にそのご家族は町中に住んでいて、みんなで車で逃げる途中に足の悪い女の人に会ったそうです。その時に、そのお孫さんが「自分は足が速いから大丈夫だ」と言って、その女の方を乗せてあげたら車に乗っていた方は助かったのだけれども、お孫さんは津波にのまれて亡くなってしまったんだという話をされていました。それは悲しいお話ですが、人に譲ったことに誇りを持って語るおばあちゃんにこの土地の精神性を感じました。

町の行く末をひっそりと見守っている
気仙町鎮守 諏訪神社 (2018.12.3)

茅原:これからそういう真実が語られ始めるのだと思います。沿岸部ではなかった僕でさえ今ふりかえればやはり相当長いあいだ動転していたと思いますし、口にできないものがありました。ところで法印さんはどちらの?

小倉:羽黒ではないかと思います。調べたわけではないのですが、どうでしょうか。

茅原:羽黒の可能性が高いと思います。東北の修験道の元締めですよね。沿岸部を含め東北一円に出羽三山を参拝する「講」があったようですし、若い人を修行にも出していたようです。出羽三山の碑もあちこちに建っています。だから羽黒の法印さんが山から降りて来て、陸前高田で祈っているということは十分に有りえることだし、やはり東北の文化的精神的支柱としての「山」がいまだに生きているのだと思います。

小倉:ところで陸前高田の氷上山の麓の氷上神社に伺った時に、その社殿の下からこんこんと清水が湧いていました。そのことを地元の方は知っていらっしゃるので、水道が途絶えても困らなかったそうです。宮司さんにお話を聞いたら、氷上神社の御祭神はアイヌの神様だとおっしゃっていました。

海が見えない「まち」

茅原:実は僕も最初から東北に思い入れがあったわけではありません。東京生まれで首都圏で育っています。親父の仕事の関係であちこちを経験しましたが、東北だけは親戚もいないし縁がなかったんです。それから何も知らずに大学にポンと来て今年で14年目になります。こちらで暮らすうちに霧が晴れるように東北の面白さすばらしさが見えてくるようになりました。その頃に震災が起きて… 現地にはすぐ入ったものの、あまりに広範で徹底的な被害を目の当たりにして、途方に暮れた末に、僕自身はより長い時間的スパンで文化の基層に潜っていくような活動に向かっていきました。

そんな中、今年になってなにかに招かれるように登米市のお神楽の担い手さんとご縁ができまして。ご存知かと思いますが、東北の神楽は法印系の山伏が伝えた神楽と村の芸能に変化していった南部神楽と大きく分けて二つの系統がありますが、登米市のその集落は法印系の神楽を担ってきました。元々は30とか50とかの神楽の演目が、高齢化だけでなく震災後の地域社会の変化の影響で今は確実に奉納可能な演目はほとんどひとつだけになっています。震災の影響は内陸部にも別のかたちで及んでいるのです。そこにたまたま居合わせてしまったということは、なにかが僕に「ちゃんと見ておけよ」って言っているようにも思われて、撮影は素人ですけど現地に行ってはカメラを回しているんです。芸能として見たときの法印神楽自体は十分研究されているものですけど、それが震災後のどういう暮らしの中にあり、また担い手や集落がどういう「ものがたり」でそれを位置づけ語っているかということはいま見て・聞いておかなければ失われてしまいます。

でもときどき、心理学者なのに何やってんの?(笑)と思うこともあります。いずれ編集する時には心理学者としての専門性も多少は活かせるのかなとは思っていますが。

由井:必ずあると思います。「オオカミの護符」はもう10年前ぐらいの作品で、私が独立して最初の作品です。業務用のカメラは使えず、家庭用に近いカメラを使って自分で撮影し始めました。十分な予算もなく、気持ちを合わせた仲間で仕上げた手作り感いっぱいの作品です。今でも映画を見るたびに作品の構成にしても編集方法にしても反省の多い作品ですが、それでも撮影しないことには形にはなりません。オオカミの護符に出演してくださった御師さんや土地の古老など多くの方々が亡くなりました。作品の出来栄えは別として、今では素直に作ってよかったと思っています。

茅原:映画を拝見してまず思ったのが、「こういうお顔をされた方を最近ほんとうに見なくなったなぁ」ということです。ここ10年ぐらいがぎりぎりだったのですね。よくぞ、こういうお顔たちを撮っておいてくださったと思いました。

小倉:今回、陸前高田にお訪ねして驚いたのは、先祖代々地元に暮らしてきた人たちが、土地と関わりを持てないようなまちづくりがされていたことです。なぜ自分たちの思うように暮らせないのかという精神的な苦痛がかなりあるのではないかと感じました。そういう状況の中で芸能というのは唯一、自分たちを中心に置くことができる、互いの存在を確認し合える貴重な行為なのではないかと思いました。

茅原:震災からそれなりに時間が経った今になると、全く異なるまちづくりのあり方があったのではないかと気づいた陸前高田の人もいるのではないでしょうか。

建設中の防潮堤(陸前高田・2018.12.3)

由井:私たちは外から来た人間ですが、あの町の中心部に立った時にいたたまれない気持ちになりました。

茅原:土地の人はもっと辛いでしょうね。

由井:どこに気持ちを向けて暮らして良いのか、その方向性が定まらないように思ったのです。かつては町からは海を見たでしょうし、海に出れば山も見たでしょう。

茅原:気持ちが萎えますよね。地元の人が望んでいるならまだしも、必ずしも望んではいない。

小倉:海が見えないんです。

茅原:防潮堤ですね。「オオカミの護符」の本の中で震災復興を考える上で「ああ、そうか」と膝を打ったこととして、「わらじ親」の話がありました。集落への入り方。本来ならそうした配慮を持って集落に入っていく方法があったのに、新興住宅地の開発のあり方はそこを全く無視をしてしまったのだというご指摘には、「はっ」とさせられました。同じことがより大規模に陸前高田で行われてしまったのかもしれません。実は大学があるこの辺りも大造成地なんですよ。

かつての丘陵地が想像できる(宮城大学のカフェテリアから)

小倉:やはりそうですが。ここに来る時にも話していたのですが、とても仙台にいるとは思えません。

茅原:昔は丘陵地帯で谷あいにはそこここに池があったそうです。冬には池が凍ったので街中からスケートに来るような場所だったとか。そこからだんだん開発が始まり…かなり長期的なプロジェクトのようです。仙台は昔から住まれていた平野部を囲む丘陵が新たに削られて衛星のように宅地が点在するちょっと不思議なランドスケープを構成しています。だけどニュータウンなので世代交代が進まなくて、公共交通もバスしかなかったり必ずしも便が良くないので古いところは高齢化と空き家が目立つようになっています。上手くいっていないですね。

小倉:うちの方(多摩丘陵)と同じ様な町の作り方ですね。

映画「オオカミの護符」で印象に残った場面

由井:最後にアカデミック版をご覧になって何か印象に残った場面がありましたが教えてください。

茅原:エッセンスが凝縮されたバージョンだからかもしれませんが、それをいうと全部なんですよね。最初の竹やぶは印象的ですね。とても綺麗にされていて。違う植物に見えるとさえ思いました。あのスコップ、何と言いましたか?

小倉:「へら」ですね。

茅原:丁寧に磨かれて光っているのが、妙に印象に残りました。皆さんが「講」で集まっているところも。ああこれが小倉さんのお父さんなのかと(笑)。本を先に読んでいましたから、そんな風にも思いました。あとは、御嶽神社の御師集落の映像がとても印象に残りました。本当に山に抱かれるように集落がありますよね。日本にこんなところがあるのかと思いました。猪狩神社で手刷りでお札を刷っておられる方々のお顔もとても雰囲気がありましたね。こういう人たちが代々この行事を受け継いで来られたのだろうと。お顔で言えば、三峰のおじいさん。

小倉:山中恭介さんですね。

山中恭介さん(三峯神社神領民) 映画「オオカミの護符」より

茅原:ああいう方ももう亡くなってしまったのかなと思いました。あと、モノクロの写真が素晴らしいですね。

由井:清水武甲さんの写真ですね。

焼畑の火入れ【撮影:清水武甲】
映画「オオカミの護符」より

小倉:焼畑の写真です。

茅原:東京近郊とは思えないですね。

小倉:昭和50年代まで焼畑をやっておられたようです。

茅原:皆さんが関東言葉を話しているのがとても印象的でした。

小倉:「よかんべえよ(いいでしょう?)」とかですね。

茅原:はい、それに東北だと昔からの暮らしを守っている人たちの言葉はたいてい聞き取れないのですが(笑)、関東人だった僕にも馴染みのある言葉で話されているのが新鮮だったし、今と地続きなことをより感じることが出来ました。

由井:ありがとうございました。

茅原:こちらこそ、遠くまでありがとうございました。


アカデミック版DVD・上映権付き2枚組|本編を再編集した短縮版
「オオカミの護符」73分「うつし世の静寂に」60分

通常価格 54,000円(税込)から 36,000円(税込)に価格改定

主な購入先:
 アジアサイエンスカフェ、宮城大学、 村田町歴史みらい館、明治大学農学部、 環境問題翻訳チーム・ガイア、早稲田大学人間科学学術院、スルガ銀行二子玉川支店、川崎市宮前市民館、大倉山ドキュメンタリー映画祭実行委員会、常葉大学経営学部大久保研究室、日本女子大学人間社会学部現代社会学科、明治大学農学部、明治大学商学部、早稲田大学人間科学学術院、駿河台大学、国学院大学文学部、国立歴史民俗博物館、総合地球環境学研究所、川崎市市民ミュージアム、若狭三方縄文博物館、八ヶ岳美術館…