3月4日に行われた川崎市文化賞受賞記念上映会のシンポジウムについて、参加者の松澤幹治さんからメールを頂きました。ご本人の承諾を得て、お名前を公表し、感想をご紹介いたします。


昨日(3月4日)の「オオカミの護符」上映会とシンポジウムが素晴らしかったので、メールを差し上げます。特に印象に残ったのはシンポジウムでのシチリア生まれのレナータ・ピアッツァさんの言葉。

「祭りは自らの共同体の絆を強めるためのものではあるが、同時に、その時をともに過ごす『他所からの人を迎え入れる場』でもある。」

会場が若干、排他的というか、変な雰囲気になりかけたときに、素晴らしい言葉でした。

レナータ・ピアッツァさん
東日本大震災の後、気仙沼でボランティア活動をし、現在遠野市に在住

そして「故郷とは」という話になって、「求められる場で、自分がやりたいと思うことができれば、そこがふるさと。」というのは良い言葉でした。素晴らしい方を発掘してくださった、と嬉しく思いました。

NPO「宮前まち倶楽部」「miyamaeぷらっと」の辻麻里子さんも素敵な方でした。
―――「人」発掘で地域の魅力発信。宮前区の魅力を発信し、区民のふる里にしようと女性を中心に活動している。
https://www.townnews.co.jp/0201/i/2015/09/04/298004.html
とネットの紹介記事にありましたが、

辻麻里子さん
英学塾代表、環境問題翻訳チーム・ガイア主宰
miyamaeぷらっとの一員として「宮前まちかどライブラリー」を上映会と同時開催し、本を介在としたまちづくりを試みている。

「宮前区に来たのは、人の縁。交通が便利で、宮崎台駅の桜が綺麗だった。」

気負わず、良い言葉でした。こういう方々が地域を盛り上げてくれるのですね。「ケーキをまけてくれるお店」のお話もよかった。

ホームページで見つけた監督の由井英さんの文章も素敵でした。
https://sasala-pro.com/works/nagatoro/

かつては日本各地の村々を訪ねるとき、「わらじ親」という導き手を立てることが大切にされてきた。こうして筋を通して入ってきた者には、村の中からも一定の配慮がなされたことだろう。村落社会が閉鎖的と思われた背景には様々な理由があると思うが、筋を辿らず、身ひとつで不用意に足を踏み入れようとした側の問題もあるのではなかろうか。村の者からすれば、来るのを拒んでいるのではなく「筋が通ってない」ということなのだろう。例えば里の集落で講を組み、歩いて山を詣で、神社を参拝する際に、その導き手となるのは「御師」である。講中は山頂の神社に詣でる前に一旦、御師の宿坊に立ち寄り、その後御師の導きにより「お山」に登っていく。講中が宿坊に立ち寄るのは、里びとが御師を先達に立てることで、筋を通したことを示すためだろう。そうした心配りが行事の中のひとつの行為として受け継がれてきたのではないか。

これは「ふるさと論」であり、地域活性化論であると思います。映画を妻と見ようと思って、DVDと本、会報誌「そもそも」注文しました。届くのを楽しみにしています。

(感想文:松澤幹治・川崎市宮前区在住)

  • 松井文雄さん
    初山念仏講、無尽講 講長
    今も家の座敷で毎月一回講が組まれている。
  • 矢澤舜さん
    初山十王堂 世話人 矢澤水耕農園 代表
    父親の遺志を継ぎ、閻魔様をお祀りしている。

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