哀しみの舞台|内山節(哲学者)

山は川や大地と結び、海につながっている。この結びつきのなかで人は暮らし、そこには風土がつくられていた。この風土は人々に生と死の諒解を与え、その諒解は神仏を人間たちに与えたるとともに、たえず風土の物語を生みだしつづけた。

この映画はそんな記憶の世界を描き出す。とともに自然との結びつきを否定し、つながり合う自然の世界を分断させた近・現代文明の哀しさを映し出す。それは、記憶の世界に戻ることも、さりとて現代文明に可能性を見いだすこともできなくなっている私たちを包む哀しさである。

風土を映し出す、その映像の美しさが際立っている|守矢早苗(神長官守矢家 第七十八代当主)

八ヶ岳、富士山、諏訪湖…。それは、茅野の我が家から見える親しい景色であり、思わず見入ってしまう。森が深い蓼科山あたりから流れ出る清水が川となり、キラキラと光り輝きながら諏訪湖に注ぐ。大いなる営みによって、諏訪湖が長い年月を経て今もあることをありがたく思う。諏訪湖の神渡りの神事を見ながら、「信仰」は自然の営みに寄り添う人々の切実な暮らしと心が生んできたことに思い馳せた。信仰の衰退は環境の劣化を招いている。オギュスタン・ベルク氏の言葉に触れ、「大事な信仰は科学の真理でもある」と思えた。

太古とつながる地底の物語が いま我々に語りかけること|伊東豊雄(建築家)

少年時代を信州で過ごした私は、 毎日諏訪湖を眺めて暮らしていました。地底には太古につながる秘めやかな物語が存在していたとは露知らずに。物語は自らに問いかけるように静かな語り口で進行しますが、 そのストーリーはじわじわと私の身体に浸透してきます。私はいま近代主義に覆われた環境と、 精神の深部に宿る失われた風土への憧憬との狭間を彷徨っているからです。正しく私は戻ることもできない、さりとて先に進むこともできないのです。

この映画は水を巡る物語だと思った|佐藤一男(防災士・元漁師/陸前高田市)

信州に伝わる物語を軸に各地に場面を移す。水に祈り、水に恵みを求め、水の脅威にさらされ、水とともに生きる各地の記録。時に人の都合で作り変えられる風景。この映画の中には、自然に対して人間の都合を押し付けない人たちが出てくる。ゆったりと流れるこの映画には、古くもあり新しくもある日本人の残すべき美しさが映し出されている。そこには、訪れたことがない人にも懐かしいと感じる風景が映しだされていて、つながったことがないはずの町と町が映画の中でつながっていた。また、人と町の変化の記録としても貴重な物になっている。風景を中心に町起こしを考えている人は、必ず見て欲しい。

「ものがたりをめぐる物語」をめぐって|田中優子(法政大学名誉教授)

国土と風土。本作品はこの二つを、明確に分けた。すごいことだ。そうしなければ見えないものがある。分けることで「風土」が見えてきた。風土は単なる風景ではない。私たちはふだん地上の風景しか見ないが、個々の身体が風土とつながることで、風土は自らの中で風の彼方にも土の下にも広がり深まる。しかし、いったん風土から切り離されてしまった私たちの生命と身体を、どうやって結び直そうか?

多分その方法が物語であり映像だ。甲賀三郎の物語はオデュッセウスの物語と重なる。国土は国や自治体という分け方に従って帰属を求めるが、風土は生命を遍歴にいざなう。この物語と映像に乗り、風土に向かって自らを開いていきたい。心からそう思える作品である。

 

 

橋と蛇という希望|宇野 重規(政治学者・東京大学社会科学研究所教授)

神話的な一篇である。同時に痛烈な近代化批判でもある。自分たちの拠って立つ風土を破壊してきた現代人は、これからどう生きていけばいいのか。風土こそが神であり、その声を聞き、物語を紡いできた日本人は、もう魂を揺さぶる感動を覚えることはできないのか。「昔に戻りたいわけではない、さりとてこのまま進みたくない」というナレーションに、深い共感を覚えた。日本列島の構造線に位置する諏訪湖には、氷を割いて盛り上がる御神渡りが見られる。地上と地下、この世とあの世、人間の世界と神の世界を隔てる「間」、そしてそれをつなぐ橋と蛇こそが、本篇の示す希望である。私たちは再び物語を紡ぐことができるだろうか。

犬にだって分かるんだ|平野 恵理子(イラストレーター・エッセイスト)

空、雲、木、草、土、山、海、川、湖。そこにある、祠、社、橋、道、階段。動力を介さずに人の手でつくられ、長く大切にされてきたものは、その風土にとけ合う。それをじっくりと見せてもらいました。「文明」の名の下に突き進んできた陰で、隠してあったあれこれを溜めた袋。その袋がとうとう破れた。破けた穴から流れ出したあれやこれやをどうしよう。答えは簡単には出せないけれど、この「物語」を何度も観て、その答えに近づきたい。土地の人々の手によって新たに架けられた橋の渡り初めに、犬も参加して機嫌よさそうに走って渡っていました。きっと犬にも、この橋のよさが分かったのですね。

近代と「風土」の狭間で引き裂かれ|会田 弘継(元共同通信論説委員長)

近代はヤヌスだ。二つの顔を持つ。豊かで衛生的な生活、自由や民主主義をもたらしたのは、合理的な科学や個人主義、都市化である。だが、あの陸前高田の愛宕山 の、すっかり緑を奪われ赤土をさらけ出した惨状をもたらし、私たちのかけがえのない「風土」を 奪っていったのも、その近代だ。 だれもがそれを哀しみながら、だれもが近代の豊かさ、自由を捨てることができない。一時の「自然への回帰」は、近代人の自己欺瞞だろう。

この優れた映像作品の基調をつくる、地上と地下の国をともに愛 し、引き裂かれる諏訪の甲賀三郎は、近代と「風土」の間で引き裂 かれる私たちだ。そう、地下と地 上を生きる蛇なのだ。

静謐な、しかし強烈な祈り|楠田健太(東京藝術大学 准教授)

待望の新作が完成した。前作『うつし世の静寂に』(2010年)の前後には本作のアイデアを伺っていた気がするので、そこから文字通り十年以上の歳月がかかっている。非効率極まりない。しかしその密度たるや半端ない。作品を通して近代的な合理主義に疑問を投げかける由井さん、小倉さんだが、映画作りに取り組む姿勢において、身をもってそのメッセージを体現されているのだ。

本編の中で藤森照信さんが、素敵すぎる茶室「高過庵」で呟く。「風土とかそういうものと繋がっているっていうね、なんでか知らない。自分たちには分かんないよね、だってそういううんと基本的なことって、自覚できるようなものはたかが知れたもんですからね」と。そう、分からないけど確かにある、その感覚。

国土から風土へ―。これまでのどの作品よりも静謐、しかし強烈な祈りに溢れている。

背景映像|双子池(八ヶ岳)